ともだちとは「倶立」と書きます。
倶立の「倶」とは、「倶会一処(くえいっしょ)」の倶です。
倶会一処とは、 浄土教の往生の利益の一つで、
阿弥陀仏の極楽浄土に往生したものは、
浄土の仏・菩薩たちと一処で出会うことができる、という意味です。
「仏説阿弥陀経」というお経の中で、
「舎利弗。衆生聞者。応当発願。願生彼国。
所以者何。得与如是。諸上善人。倶会一処。舎利弗。不可以少善根。福徳因縁。得生彼国。
(舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。
ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。
舎利弗、少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。)」
と言われています。

倶立の「立」とは、「住立空中(じゅうりゅうくじゅ)」の立です。
「仏説観無量寿経」というお経の中の華座観 に
「佛告阿難 及韋提希、諦聴諦聴、善思念之。
佛当為汝 分別解説 除苦悩法。汝等憶持、廣為大衆、分別解説。
説是語時、無量寿佛、住立空中。
(仏、阿難および韋提希に告げてたまわく、
「あきらかに聴き、あきらかに聴け。善くこれを思念せよ。
仏、当に汝がために、苦悩を除く法を分別し解説したまうべし。
汝等、憶持して、広く大衆のために分別し解説すべし。
この語を説きたまう時、無量寿仏、空中に住立したまう。」)
と言われています。

また、真宗の本尊は阿弥陀如来で『住立空中尊』です。
悩める私たちを救ってくださるために、常に立って待ってくださっています。
座っていては到底間に合わないと言って、前のめりになって立って待っています。
そして、ただ待っているだけでなくて、煩悩具足の私を
「えらばず、きらわず、みすてず」
と言って、「摂取不捨」してくださっています。

すなわち、その「倶」と「立」を合わせて倶立と書き、
その二つの漢字を訓読みすることによって、倶(とも)に立(た)つ(ともにたつ)、
すなわち「ともだち(倶立)」と名前を付けさせていただきました。

名前とは願いです。
皆様一人一人に名前があり、その名前にも願いがあります。
それは私たちがこの世に生れ、生きているということであり、その生きるための願いです。

私は一人では無力です。
無力どころか愚禿の私は罪悪深重の身を生きております。
そんな私が生かさせていただけるのも、願いがこの身(いのち)にかけられているからです。

こんな私ですが、
「あせあらず、くらべず、あきらめず。
いのちすべて生きてよし。
そのままでよし。
みんなで一処に生きようよ。」

という願いのもと、皆様と一処に生きさせていただけたらと願っております。

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